黒鉛を知ろう

黒鉛の呼び方色々

今回は黒鉛(石墨)の別名について調べてみました。

以下の点にご留意願います

・言語の専門家ではないため、初出であるかは不明です。

・古い時代に命名された鉱物は組成分析を行っていないため、黒鉛であるか不明な部分があります。

 例えば下の写真をご覧ください。左側が黒鉛(化学式:C)、右側が輝水鉛鉱(化学式 : MoS2)です。両者の外観を文字化すると「黒~鉛灰色、油様の光沢」となり識別が不可能となります。このことから、結晶構造の概念がなく、写真が一般的でなかった時代の鉱物判定の確度は低かったのではないかと推察されます。

 黒鉛が他の鉱物と異なる事が実験で証明されるのは、18世紀まで待たなければなりません。まず、ヨハン・ハインリヒ・ポット(1692~1777)は黒鉛に鉛が含まれていないことを示しました。次いで、カール・ヴィルヘルム・シェーレ(1742〜1786)は1779年に黒鉛を酸素中で燃焼すると二酸化炭素が発生する事を示し、黒鉛が炭素で構成されており他鉱物(この時は輝水鉛鉱)とは異なると結論付けられました。

黒鉛

 最初は「黒鉛」です。書籍『本邦金石略誌』1)、『日本鉱物誌(改訂版)』2)をはじめ様々な文献に記載されています。

 和田は『本邦金石略誌』(1878年)において、『石墨 graphite. 又 黒鉛』と記載しています。現在一般的に用いられている呼称と同じです。

 同誌において、石墨はこれまで日本人が使わなかったため知る人が少なく、明治維新後から各地で黒鉛が発見されたと記載されてます。

 その後、『日本鉱物誌(改訂版)』(1916年)では黒鉛の産地・産状・結晶の形に加えて、黒鉛の写真も記載されています。写真が加わると分かりやすいですね。

1) 和田維四郎 著『本邦金石略誌』,日就社,明11.10. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/832100 (参照 2025-05-29)

2) 和田維四郎 著 ほか『日本鉱物誌』,福地信世,大正5. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/933382 (参照 2025-05-29)

石墨

 次は鉱物名である「石墨」です。石墨という呼び方はかなり古くから用いられていたようです。例えば、『叡岳要記』3) (823~833年)、『本草和名』4)(918年)、または『雲根志』5)(1773年)など様々な書籍に記載されています。

 まず、日本現存最古の薬物辞典である『本草和名』について。ここには、『黒脂石、一名 石墨』と記載されています。これは、石墨は黒脂石とも呼ばれていたという意味です。

 「石墨」は固形墨に似た石という意味でしょうか。確かに黒鉛は筆記に用いることができ、外観が黒色であることから固形墨に似ているともいえます。また、「黒脂石」という名称は、黒鉛の油様の光沢と摺動性から名付けられたと推察されます。

 次に、慈覚大師円仁が石墨と草筆を用いて、自分の手で法華経の一部の書写を行った(『以石墨艸筆。手自書寫法華経一部』)ことが「叡岳要記」(823~833)に記載されています。

 この記載内容について、磯部6)は日本人が黒鉛を利用した記録の中で『最古の記述』であると述べています。

 最後に、木内石亭は著書『雲根志』(1773年)の後編巻四において、石墨は石炭、石筆の種、黒脂石とは異なる種類であると述べていますが、同書籍の三編巻二では石炭や黒脂石の一種であるとも述べています。このことから、当時の代表的な愛好家でも黒鉛の識別は困難だったことが示唆されます。

3)『叡岳要記』.国立公文書館デジタルアーカイブ https://www.digital.archives.go.jp/item/753505 (参照 2025-05-30)

4) 深江輔仁 著 ほか『本草和名 2巻』[1],英大助[ほか],寛政8 [1796]. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2555536 (参照 2025-05-30)

5) 木内小繁重暁 著述『雲根志 後編4巻』[6],伊丹屋善兵衛,安永2 [1773] 序. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2556672 (参照 2025-05-29)

6) 磯部克 『人生を豊かにする鉱物の博物誌』 , 文芸社, 2002,p.131

黒脂石 (効能はありません)

 次は『本草和名』に記載されていた『黒脂石』という名称です。黒脂石とは古来の薬学で用いられていた5色の石である青石、赤石、黄石、白石、黒脂石の一種です。

 李時珍(明代の本草学者)の著書『本草綱目』(1596刊行)には五色の石は五臓に効能があると書かれていますが、『本草綱目』を基に貝原益軒が書いた『大和本草』7)(1709年)は赤色と白色の2種類に効能があると記載していることから、この時点で黒脂石の効能は否定されているようです。

繰り返しますが、黒鉛に薬としての効能はありません。

 また、『本草綱目』には墨にすることもできる、石炭とは異なる、南方の人々はこれを『画眉石』と呼び眉を描く石として用いたなどと書かれています。

 ちなみに「黒脂石」という名称について、どこまで遡れるか調べてみました。その結果、中国最古の薬物書『神農本草経』(紀元1~2世紀頃?)に辿り着きました。ただし、この書籍は古代中国の伝説上の帝王で薬祖神とされる神農が百草をなめて薬品を区分したという伝説に基づく書籍で、成立年代も明らかではありません。

7) 貝原篤信『大和本草』巻1-12,14-16,永田調兵衛,宝永6 [1709]. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2605899 (参照 2025-05-30)

Grafino Piombino (イタリア語、鉛のような筆記素材)

 1599年、イタリアのフェランテ・インペラートは黒鉛の性質を賞賛するために取り上げました。彼はこの鉱物を『grafio piombino』と呼び、以下の点において他の画材よりも好ましいと主張したそうです。

 ・インクとは異なり、黒鉛で作られたマークは簡単に消すことができる

 ・チョークや木炭よりもほこりが少なく、耐久性がある

 ・銀筆とは異なり、グラファイトは広範囲の表面をマークすることができる

 ・石膏などの下地剤を必要としない

Flanders stone(フランダース石)

 このイタリアで消費された黒鉛はどこから来たのか?という疑問に対して『Flanders stone』という名前の鉱物があります。

 フランダースとは現在のベルギー北部のフランドル地方を指します。当時のフランドル地方の商人はイタリアの芸術家たちからの黒鉛の需要を察知していたはずです、しかし同地方には黒鉛鉱山はありません。そこでフランドル地方の商人はイギリスから黒鉛を輸入し、『Flanders stone』という名前でオランダを経由しイタリアに供給したと推定されています。

Black Lead(黒い鉛)

 黒鉛の「消すことができる」という特性は、芸術分野だけでなく教育現場でも高く評価されていたようです。

 1612年、アメリカのジョン・ブリンズリーは自身の著書において、学校で使用する書籍への書き込み方法について述べています。彼は日々あるいは長期的に繰り返し使うような本はインクで書き込み、後に消す可能性のある場合は黒鉛製の鉛筆(『pensil of black lead』、原文ママ)で書き込むことを推奨しました。

 なお、当時の鉛筆は羽ペンの軸に黒鉛を差し込んだものであり、消しゴムの代わりに新しい小麦パンのくずが用いられていました。

Graphit (ドイツ語)

 『Graphit』という名称が初めて登場したのは1789年、ドイツの鉱物学者アブラハム・ゴットロープ・ヴェルナーが提唱した時だといわれています。

 『Graphit』という名前は古代ギリシャ語の graphein (書く)に由来し、ヴェルナーがこの鉱物に名前を付けた際に、筆記具としての適性に言及したことに由来しているようです。

 また、ヴェルナーは同誌において黒鉛を『Plumbago』と呼ぶことに対して『sehr unschicklich』(非常に不適切)と記述しています。これは、Plumbago は元々ラテン語の Plumbum (鉛)に由来していますが、実際は黒鉛と鉛は化学的にまったく異なる物質であるため、Plumbagoと呼ぶのは誤解を生む非常に不適切な呼称だ、と指摘していることが示唆されています。

アイキャッチ画像

 今回のアイキャッチ画像は富山県の高清水鉱山の黒鉛です。

 同鉱山は明治元年(1868年)発見の日本最古の黒鉛鉱山といわれています。ピーク時は800 t/年が採掘されていたようです。

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黒鉛