黒鉛を知ろう

最古の鉛筆について

「黒鉛は何に使われているの?」という疑問に対して、私たちがよく用いる回答に「鉛筆」が挙げられます。

今回は、皆さんがよくご存じの「鉛筆」についてお話しします。

まず最初に

黒鉛(別名:石墨、グラファイト)は純粋な炭素です。

なぜ「黒鉛」と呼ばれるようになったかというと、昔の筆記用具は「鉛」、「黒鉛」、または「両者の混合物」が用いられていたからです。

鉛で引いた線は色が薄いですが、黒鉛で引いた線は色が濃いので、英語で「ブラック・リード」(濃く書ける鉛、黒鉛)と呼ばれるようになったと考えられます。つまり、かつて人々が「黒鉛を鉛と誤認」したことに由来します。

 

最初の鉛筆とボローデール鉱山の黒鉛

最初に鉛筆が記録に現れたのは1565年、スイスの博学者コンラート・ゲスナー氏の著書からです。その本には、英国産のアンチモン混合物(原文「Stimmi Anglicum」、黒鉛・鉛という説もあります)を木製の柄に挿入していることが挿絵と共に記されています。そして、この鉛筆は丁寧に作られたことから工芸品・高級品としての位置づけであったことが示唆されています。

鉛筆に黒鉛が用いられるようになったのは1564年(推定)。イギリスのカンバーランドのボローデール鉱山で大規模な黒鉛鉱脈が発見された後といわれています。ボローデールの黒鉛は最上級の良品であったため、「握り部分を紐で巻く」、「小片を木片に挟む」ことで使用できたようです。最初、産地付近で羊のマーキング、ストーブの錆止めに使われる程度でしたが、その後イタリアに運ばれデッサン用の材料として用いられました。

イギリス政府はボローデール鉱山の黒鉛が乱掘されることを恐れ、「採掘期間は1年間に6週間のみ、堅牢な建物に守られ、鉱夫は監視されながら専用服に着替える、輸送には軍隊が護衛する」、といった方法で保護していました。なお、現在は黒鉛は枯渇して閉山しています。

 

最古の鉛筆を再現

前出のとおり最古の鉛筆は「小片を木片に挟む」、「削り出し握り部分を紐で巻く」方法で製造されていたようです。

「小片を木片に挟む」鉛筆は、徳川家康や伊達政宗が所有していた鉛筆のように現物・文献を見つけることができます。しかし、「削り出し握り部分を紐で巻く」鉛筆は見たことがありません。

そこで、「削り出し握り部分を紐で巻く」鉛筆を再現し「形状」、「色の濃さ」、および「書きごごち」を確認しました。なお、ボローデール鉱山は塊状黒鉛が産出したと推察されることから「スリランカ産の塊状黒鉛から削り出す」手法を採用しました。 

早速ですが、再現した鉛筆が次の図です。武骨な印象です。景なく渡り十分といった所でしょうか・・・。

図:スリランカ産塊状黒鉛(左)と復元品(右)

結果

削り出し中に割れるため、細く加工することは困難でした。

書きごごちは軟質でスラスラかける印象です。

色の濃さはかなり薄いです。筆圧を高くするとH~HB程度になりますが崩れました。

余談

人造黒鉛を用いた鉛筆も作成してみました。いつかご紹介できればと思います。

徳川家康の鉛筆の芯はメキシコ産といわれていることから、ソノラ州の土状黒鉛の塊を切出して成型、書きごごちは硬質、色はHBより濃いのではないかと考えています。

アイキャッチ画像

今回のご紹介しました鉛筆(レプリカ)です。

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黒鉛